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2009-12-24

近江の城を回る その3

三日目。

当初の予定は、昨日までの四城を回ることで達成されたので、この日はダラダラと下道で関東に向かう予定だった……。

「じゃあ、関ヶ原でも通ってくか!」と琵琶湖をぐるっと半周し、関ヶ原に向かおうとしたその時!



QNK(急に長浜城が来たので)、予定にはないけど、まだお昼だし折角だから寄っていくかと思った。

写真の城は模擬復元されたもの(外側だけ)で、中味は普通の博物館になっていた。博物館内部は、完全撮影禁止になっていたので、写真は全くない。彦根城博物館は撮り放題だった(フラッシュ&三脚のみ禁止)のになあ。

だが、撮影禁止なだけあって(?)展示は気合いが入っていた(いや、彦根城博物館も素晴らしかったけど)。また、丁度、“三成と兼続”という企画展をやっていて、石田三成という人物に対しての理解を深める結果になったので、寄って良かったと思っている。

 

長浜城を満喫した後、東に転進。関ヶ原を通過し……と、関ヶ原西軍本陣跡の看板が!



ここでもまた寄り道をしてしまう。



笹尾山より見下ろす関ヶ原。

と、浸りたいところだが、冬は日が落ちるのは早いので、この時点でかなり暗くなってきた。一応、次の日から会社出ることになっているので、先を急ぐことにする。

 

国道365号から国道21号に鞍替えすると、大垣城がナビ上に現れた。

この時間では、どう考えても見学など無理だが、外観だけでも観たいなと思い、ちょっとだけ寄り道することにした。

車内から、かつ車高も低いので、とても“観た”とは言えない状態だった。まあ、また来ればいいさと気を取り直し、帰路につく。

その後、美濃加茂ICから東海環状、土岐JCTから中央道、恵那峡SAで一休み(何故か意識していないのに、いつも恵那峡で止まってしまう)……して、道路状況を見たら、中津川より先は雪……っ!

ざわ……ざわ……。

正直、土岐まで戻って東名コースを選んだ方がよいのではないか?と思ったが、あまりに遠回りだし、スタッドレスだし、規制が出てるわけでもないし、気をつければ大丈夫だろうと判断し、強行突破を試みた。

中津川を越えた辺りで、パラパラ来始め、諏訪湖辺りがピークだったが、そんなに激しく降っておらず、無事帰投出来た。

 

とりあえず、これで三日ほどの骨休めは終了した。

2009-12-22

近江の城を回る その2

二日目は、まず安土城跡に向かった。



初っ端からこれ('A`)

受付で、杖を貸してくれなかったら死んでいたかもしれん。最初、「杖に頼るのは老人だろ常考」とか思ったんだけど、「ま、まあ、貸してくれるって言うんなら持っていってやらんこともないかな」と思い直して正解だったわ。

羽柴秀吉邸や前田利家邸辺りでは、「木の触媒を手に入れた」とかぬかす余裕があったんだが、その後、木の触媒は本来の用途にしか使われなかった。



なにやら蝮・蜂が出るそうで、昨日の熊に続いて厄介な問題だったが、結局エンカウントすることはなかった。



天守付近からのパノラマ(Original size)。

だいぶ、復元・発掘が進んでいるようで、小谷城とは違って歩きやすかった。ただ、全て石垣なので靴の性能によっては辛いかも。そいや、一周回って出ようかなという頃、入ってきたカップルの片割れがハイヒールだったので、“勇気あるね”と心の中で呟いて次へ向かうのであった。

所要時間は一時間くらい。

 

次は、すぐそばにある観音寺城



まず、入り口が分かりにくかった。事前に調べていったからいいものの、準備なしで行ったら迷うこと確実。殆どの地図には縮尺の関係で記されていないが、細い有料の林道(\500)が国道8号西老蘇交差点から繋がっていて、そこを2kmほど走った行き止まりに駐車場がある(10台分もない)。そこからは歩きなのだが、直前の安土城が児戯に思えるほどの急な石段が待ち構えていた('A`)

そして、そこを300mくらい登ると、観音寺城……ではなく、観音正寺。





更にここからまた登ったり下りたりして、本丸跡。



まあ、ぶっちゃけ、なにもない。小谷城と同じく、これを楽しいと思えるのはよく訓(ry

ちなみに、観音寺城では木の触媒を借してくれなかったので、この時点で相当足にきていて、太ももとかビキビキいってた。階段ってさ、下りの方が辛いんだよね……('A`)

てな感じで二日目終了。

2009-12-19

近江の城を回る その1

というコンセプトの旅行にした……とかいいつつ、毎度、温泉と城がメインなのでいつもと変わらない。

 

前日に、ワイパーブレードだけでも換えようと思い、三鷹SABに行ったらスタッドレスが山積みになっていた。それを見て、ピンと来たので、その場で四本とも履き替えてやった。

スタッドレス童貞だったので、通常路面でのグリップのなさにビビりつつ、一旦帰投し、出発まで一眠りするかと思ったら、何故か城4でソウル稼ぎしていた……何を言ってるかわからねーと思うが(ry

 

0時を回った頃に出発。東名はなんだか工事中とか言ってたので、今回は中央道を採用。ユキイロ.comを出る前に見たら、岡谷JCTで小雪と出ていたが、規制は出てなかったし、貧弱な夏タイヤではないので、問題なかろうと判断した。実際、降っていなかったし、凍ってもいなかった。すげー寒かったけど('A`)

ちなみに、ユキイロ.comはFlashなので、iPhoneでは見れないし、ケータイ版のURIもQRコードでのみ示されているので、iPhoneユーザマジ死亡である。てか、NEXCOはもうちょっと考えろ。

#と思ったら、iPhone用のQRコード読み取りAppあるじゃないか!今知った!ギャーッ!
##と思ったら、User-Agentで振り分けられるらしく、QRコードを読み取っても無駄だった!



早朝6時くらいに彦根駅前に着。彦根城の開城まで時間があったので、近所の佐和山城跡に行ってみることにする。

最近、石田三成再評価の動きがあるらしいのは聞いていたが、この時点では、まだ「三成=へたれ」という誠に失礼な想いしか抱いていなかった俺だった(酷い話だ)。

佐和山城跡も、山道が開いておらず、入り口にある三成公像と、わずかに残る石垣を下から見上げるに留めた。



その後、彦根城へ。



まず、彦根城博物館で琵琶、能面等のアイテムを眺めてから、天守に向かって進む。初日であるにも関わらず、丸一日寝てないので、体力的にかなりきつい状態だったが、なんとか登り切った。



余談なんだけど、“城の設計ってレベルデザインだよね”というのを、櫓から通路を狙う矢狭間(やざま)や鉄砲狭間(てっぽうざま)から覗いて思った。まあ、命が掛かってるか掛かってないかの差はあるんだけど。

彦根城は、なんというか素直な城だった。山城でもないし、江戸時代になってからの城だからかな。

 

その後(ひこにゃんグッズを購入し)、小谷城跡へ向かう。



正直、今回の計画を立てるまで、小谷城の存在を知らなかった(ガチな歴オタではなく、“中途半端な歴オタが機動力(車)を手に入れてる”というだけなので)。だが、泊まるところも近かったので、行ってみることにした。

小谷城へ向かう途中、雨が降ってきてしまい、「こりゃ無理かな?」と思ったが、本降りにはならなかったので強行してみた。

まず入り口に、“熊出るよ。死んでも知らんよ。鈴でも付けとけ”とあった。ちょっとガクブルしたが、こんな事もあろうかと車内に忍ばせておいたSuicaペンギンの鈴を手に、山中へ向かった。

途中、「あ、iPhoneあるやん!」と思って、ボリュームを最大にして音楽掛けてみた……。流れてきたのはRAY-FORCEだった……('A`)Why?何故?

よく考えたら、iPhoneには音楽入れておらず、iPod touchの方に全て入れていたので、iPhoneにはRAY-FORCEのアルバムだけがたまたま入っていただけなのだった。

小雨の降る中、人っ子一人いない山中に響き渡る“THE FIRST REPORT”。熊も逃げ出すわ('A`)



本丸まで辿り着き、写真を撮りまくるが、やっぱり熊が怖いので、これ以上先に進むのは止めておくことにした。

小谷城は、彦根城や松本城、金沢城などとは違い、おもてなしの精神が全く感じられないので、“よく訓練された歴オタ”でないと楽しめないと思う。

俺は楽しめたけど。